こんにちは、KHです。
会社の休職制度を利用して、私は今、中国の東港市にある「東港中日友好日本語専門学校」で、ボランティアの日本語教師をしています。
東港市は瀋陽から車でおよそ3時間ほど、北朝鮮との国境付近にあります。
左は中国国旗がはためく校舎。
校庭には、最近降った雪が凍りついていたが、生徒や教師がスコップで取り除いていた。
右は校門。校舎上部と同じく、金文字で校名が書かれている。(金文字が中国っぽい?)
上部はじめの2文字は、「民間、私立」といった意味らしい。
とにかくこちらは寒く、すでに10数センチの雪も一度降り、道路は凍りついています。
暖房設備が日本のように整っていないこともあり、校舎や街中のお店でも(かなり高級な店に行かない限り)、ダウンコートを脱ぐことはありません。
最高気温マイナス10度、最低気温マイナス17度という環境です。
街のメインストリート。
車優先なので、横断注意。車をやりすごしつつ、まず道路中央まで行き、反対車線を同様にわたる。
東港は小さな市ですが、日常生活に必要なものはだいたい揃います。
スーパーマーケットの品揃えも、私が北京に留学していた10数年前に比べると、とても豊富になりました。
ただ、中国人の嗜好に合わないものはあるらしく、この街ではバターやマーガリンは手に入らないようです。
逆に、油はいろんな種類がバルク売りされていて、そのへんはさすが中華料理の国といったところでしょうか。
街の大きなスーパーマーケット。上の写真の後ろ姿は店員。
店内あちこちに立っていて、所在無げにしていたり、店員同士おしゃべりをしていたり。
熱心に何か探していると、すぐ声をかけられる。
学校内にある教師用宿舎に私は滞在していますが、広さは十分なれど、すきま風がひどく、昨日は街の市場でビニールシートを買ってきて窓全面に貼りつけました。
それでも、朝には窓の下のほうが凍りついています。
温水器を買ってくれたので、一応シャワーは温かく浴びられます。
本当はお風呂に入れるといいんですけど、バスタブはさすがについていないので・・・。
勉強部屋兼台所。
オイルヒーターの奥の段ボールは、夜間の雨戸代わりに使っているもの。
電気コンロが置いてある机の左側に寝室へのドアがある。
中央のブーツは最近買ったもので、特売で約1,000円。
学校はまもなく冬休みで、私はいまだ生活物資の買い出しと外国人居留許可の手続きに追われています。
学校から車で10分ほどでしょうか、鴨緑江という川があり、その対岸はなんと北朝鮮です。
先日、付近を案内してもらった際には、川向うの鉄条網沿いを歩く、国境パトロールの姿が見られました。
3名いたのですが、みな銃を抱えていました。
学校の横の建物は、「辺防」という、脱北者を取り締まる警察です。
鴨緑江を、夏は泳いで、冬は凍った川面を歩いて、北朝鮮から渡ってくる人がいるわけで、とにかく見つかったら問答無用で送り返されるそうです。
丹東という、この隣のもう少し大きな市には、北朝からの鉄道があり、金日成もその鉄道を使って、中国にやってきたそうです。
そういえば、確か去年あたり、そうしたことがありました。
学校のそばには露天商が立ち並ぶ小さな市場があり、野菜や肉、海産物などはそこで買っています。
東港は海沿いの街なので、海産物が豊富で安く、牡蠣も殻をはずしながら、露店で売っています。
写真上:寒々しく見えるが(実際に寒い!)、そこそこ用は足りる。
牡蠣ならぬ柿も大きく甘い。
写真下:メインストリート脇の道。とにかく、露店があちこちにある。
黄色い車は乗合バスで、乗車賃は約14円。車掌さんが車内を仕切っている。
今夜は牡蠣鍋にすべく、この市場で私も牡蠣と白菜を買ってきました。
料理は自分の部屋の電動コンロ一つで行い、特にキッチンの設備がないため、洗い物は洗面台で行うなど、ちょっと面倒です。
学校には、早期退職で来たという滞在7年の日本人男性の先生もいらっしゃいます。なんでも、この先生のご両親は中国で「国光」というりんごを初めて栽培し、広めた方たちだそうです。
その他もう一人、やはり60歳前後の日本人女性の先生もいらっしゃいます。
中国人の先生たちも、日本に留学経験がある先生が少なくなく、職員の方たちも片言の日本語が話せるようです。
大晦日午前中の餃子パーティにて。
中国人学生や教師に交じって遜色ない筆者(どれだ?)。
ちなみに、外国人教師のことを「外教」という。
生徒たちも、若い世代だけに日本に対するあこがれ、日本に行ってみたいという気持ちが強いようです。
経済的に余裕がある家庭の子もそこそこいるようで、こういう生徒は留学組ですが、そうした余裕がなく、就職のために勉強しているという子もまた多くいます。
でも、みな純朴な良い子で、私に対してもとても親切にしてくれます。
とまあ、こんな生活を送っています。
まだまだ準備期間といったところですが、会社の皆さまのご理解ご支援で可能となった今回の得難い機会を充実したものとすべく、努力するつもりです。
・・・というわけで、遠く離れた中国からKHがレポートしました。
それではまた。
KH